Jan 26, 2012

ウィーナーが『サイバネティックス』で示したように、20世紀後半の生物学は、「情報」という概念を中心に動くようになった。免疫や遺伝子は記憶や転写といった読み取りといった情報の言葉で理解されている。ここでは、コンピューターなどのハードでメカニカルなテクノロジーによって、それによって細胞の内部で起きていることを表象することが目標であった。前者を「人為・技術・文化」、後者を「自然」と呼ぶことにすれば、そのプロジェクトの基本は、自然を技術で表現するという、啓蒙以来の基本であり、ヴォーカンソンの機械仕掛けのアヒルが餌を食べて糞をするのと同じであった。しかし、1970年代以降の遺伝子工学とともに、状況が根本的に変わってくる。そこでは、DNAシーケンスや組み合わせなどが行われているが、それらの技術を行う「工具」は人為的に作られた「ドライな」機械ではなく、酵素という「ウェットな」生物の環境の中で働くものである。これらの酵素の働きは、生命の長い歴史の中で作られてきたものである。遺伝子工学のテクノロジーは、まさしく生命の一部であり構成要素であり、それを用いて生命に介入しようとしているのである。ここでは、かつてのような、人為・技術・文化と自然という二元論に基づいた構造になっていない。このように、人為が、自然・生命の一部を道具にして、自然・生命を書き直すようになったことは、人為と自然が存在論的に異なったものではなくなっていることを示唆する。

遺伝子工学における「自然」と「人為」 - 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌 - Yahoo!ブログ (via ginzuna)

(via aya18)

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